昭和4年、アメリカに始まった世界恐慌、昭和5年の豊作飢饉、昭和6年の冷害による東北地方の大凶作と続き、一気に農村が疲弊していきます。農村にとって昭和初期は大変な時代です。
まず、世界恐慌の影響ですが、生糸の対米輸出が激減し、生糸相場が崩壊、それに伴い様々な農作物の価格が暴落し、農村を直撃します。さらに政府のデフレ政策と昭和5年の豊作が重なり、生産者米価は昭和元年に15円だったものが昭和6年には7円にまで下がっていきます。
疲弊した農村に追い打ちをかけたのが、東北地方を中心に昭和6年に発生した冷害による大凶作でした。これらの一連の流れは農村を疲弊させ、「農業恐慌」とも呼ばれました。特に東北地方の飢饉は深刻で、子供の身売りなども横行し深刻な社会問題となりました。(上記の写真は教科書にも載っている有名な写真ですね。)
昭和8年には景気は回復傾向となるものの、昭和9年には再び大凶作となり、農作物の価格が回復するのは昭和11年以降となります。この年、米価は12円台までに回復しています。
その後、日中戦争、太平洋戦争に至る中で米価は徐々に上がり、終戦前には1俵(60kg)が約19円にまでなっています。初任給が75円ですから、現在価値で5万円以上になります。これはあくまで生産者米価なので、小売りはもっと高かったはず。なかなかお米は食べられないですよね。お米はまだまだ貴重品でした。
戦争になると農村の若者が徴兵されて、米の生産量自体が減少します。韓国や台湾からの輸入米も船が徴用されたり、戦争末期には輸送船が潜水艦に撃沈され、入ってこなくなります。とにかく米が貴重品となっていきました。
そして日本は、昭和20年8月15日を迎えます。日本は連合国に対して無条件降伏。日本の大都市は空襲によって壊滅状態でした。兵役からの復員や外地からの引揚者が都市部に集まり、都市部は深刻な食糧難に見舞われます。配給制度は事実上崩壊しており、毎日のように餓死者がでる危機的な状況でした。人々は農村へと出向き、着物などを食べ物へと変えていきます。この時期未だに食糧管理法は生きていたので、お米はすべて闇米となり、当局に見つかれば没収です。
ちなみに昭和20年の生産者米価は、60kg当たりなんと120円!!昭和21年には220円にもなりました。ちなみに昭和20年の大卒初任給は80円ですからね。そこから換算すると・・・・60㎏で585,200円!!!の、農家としては夢の値段。もちろん、終戦から数年でこうした異常事態は落ち着いていきますが。
明治から昭和初期を振り返ると、シベリア出兵に起因する米騒動から「国家の米への介入」が始まりました。その後も戦争や飢饉などによって価格の上下はありましたがそれほど大きな変動はありませんでした。社会が安定していない時代には主食である米の生産や価格決定に国が関与することはその当時は正解だったのかもしれません。
そして、第二次世界大戦の敗戦。ここからは食糧不足による米の増産体制がとられていきます。戦後も米は国の管理のもと生産や流通が行われます。高度経済成長期以降、品種改良や農業の機械化が進み、収穫量は増え、米価が下がっていくという今につながる時代となっていくわけです。