ハイカラさんが通る時代
「ハーイ、ハーイ、ハーイ、はいからさんがとーおるぅ」
泣けたね、笑ったね、紅緒と忍(少尉)の物語。面白かったなぁ。知ってます?漫画「はいからさんが通る」?アニメにもなってましたね。アニメの放送が1978年らしいから、私が見たのは80年代に入ってからの再放送でしょうね。
この漫画はまさに大正時代のお話、少尉が行方不明になるのは日本がロシア革命に介入した「シベリア出兵」の時だもんね。その後、再会した二人は、関東大震災(大正12年)で炊き出しをしてましたね。
大正の大事件!米騒動
さて、大正時代のお米のお話。
1912年(大正元年)、大正の米価のスタートは、8円38銭(現在価値で34,314円)。まだまだお米が貴重な時代ですね。その後、1918年から米価は急騰し、一気に13円を超え、1919年には18円40銭(97,844円)にまで高騰します。
その背景にあるのは、1914年から始まった第一次世界大戦と好景気、また、1918年から1922年まで続くシベリア出兵です。
第一次世界大戦の戦場は欧州であり、日本は日英同盟を理由に三国協商側になって参戦しますが、直接的な戦争被害はなく、戦争景気に沸き、インフレが進みます。(→米ももちろん上がる!)また、都会の工場での工業生産が盛んになり、地方から都会へ人が流れ農業人口が減少、米の生産量が下がりました。(→米の価値が上がりもちろん値段は上昇!)そこに全国の米問屋によるシベリア出兵での米需要を見越した買占めと売り控え。(→極端に米が市場になくなり、価格は上昇!)その結果、米価が高騰、米騒動へとつながります。
1919年、1俵(60㎏)の生産者米価が現在価値で97,844円ですからね、しかもこれは生産者米価、最終的な消費者の小売価格はおそらく10㎏で今の値段でいう30,000円を超していたと考えられます。10㎏で3万円ですよ。今なら「お米高いからパスタにしよぉ~っと。」もありですが、当時はお米は生活必需品。それが一部の商人の手により米倉庫に貯められて、値段が上がって・・・・そりゃ襲うよね、というわけで米騒動勃発。
富山から始まった米騒動は全国に広まり軍隊が出動する事態にもなりました。米騒動後、米の小売価格は下がったでしょうが、生産者米価はそれほど下がらず、大正期を通して14円~16円を行ったり来たりします。お米は大切!値段が乱高下するのは問題です。そこでいよいよやつが動き出します( ´艸`)
米穀法の成立
そう、国です。米穀の需給のバランスをとることで、急激な米価の変動をおさえ、国民生活の安定を図ることを目的として、米穀法が成立します。米穀法は、以下の2つを実施するための法律です。
- 政府買入れ、売渡し、交換、加工または貯蔵を実施
- 米穀の輸入税の増減・免除、または輸出入の制限を実施
この法律が成立したことで、この後、第2次世界大戦、戦後の昭和期に至るまで「国がお米の生産と流通に口出すよ」という流れができました。お米業界にとって大きな事件ですね。
ちなみに大正時代のインフレに伴い、大卒の初任給も40円から70円に上がっていきます。たったの15年で1.75倍!!20年以上、ほとんど給料が上がっていない現代日本と比べるとある意味うらやましいですね。
侍の世が終わり、約60年。明治、大正期を通して近代国家を目指し、ようやく欧米列強に追い付いてきた日本。この後、激動の昭和がやってきます。
お米の値段の変遷③~激動の昭和編 へ続く♪