お米の値段の変遷①~明治編

お米の値段の変遷①~明治編

衝撃の生産者米価! in 2021 

「うわぁ、米の値段、安いなぁ・・・・」

 そうなんです。コロナの影響?で業務用のお米があまり、史上最悪の生産者米価(農家の売上)に!正直やってらんないレベルです。昔なら筵(むしろ)旗に「厭離穢土、極楽浄土」と書いて、お上に突っ込むレベル。

こんな感じ。↓↓

 地域によっても違うのですが、とちぎの星という品種で1俵7000円、コシヒカリで9000円。60キロですよ!!もちろん、生産者米価が下がれば小売価格もそれに連動して・・・・あれ?おかしいな。そんなに変わってなくね?

<気を取り直して、前向きに、そして突然に>

  「昔は米の値段もよかった・・・・」なんて話を聞いていたので、それなら「どれぐらい昔はよかったのか?」調査開始です。調査の元ネタは、農協の組合長さんの部屋に飾ってあったお米の価格表と、われらの味方インターネットです。値段は、玄米1俵、60キロの値段になります。

はじまりは明治元年

 戊辰戦争が終わり、明治新政府が誕生したころ。明治元年の米価は、2円39銭!!よくわからない値段ですね。いろいろな換算方法がありますが、当時の1円は現在の2万円ぐらいだといわれています。そうすると、まぁ、4万円ちょっと。いいなぁ、1俵4万円!だけど、1反(1000㎡)の収穫量も150㎏程度で、現在の三分の一ぐらい。金額にして反収100,000円。反収は現在と比べてそんなに変わらない気がしちゃいますね。

 でも、すべてが手作業!田植えから収穫から脱穀からすべて!!金額ではなく、その存在が貴重だったでしょうね。食べ物の種類も少なく、玄米は貴重な栄養源でもだったはず。

 そして、江戸時代に比べて明治時代は農業技術が進歩し、江戸時代よりは飢饉が減ったといわれていますが、東北を中心に冷害による飢饉はありました。つらい時代です。また、地租改正により、年貢から現金での納税に変わりもしました。これは便利なようで農家にとっては豊作凶作にかかわらず一定の税金を払う必要があり、しかもその税金は富国強兵にぶっこまれ・・・・農家の人たちには重税となり、大変な苦労をされていたはずです。

 そこから明治26年ごろまでの米価は2円から4円台を行ったり来たり。単純に豊作、不作で米価が上下していた感じです。そして、米価に大きな変化があるのは・・・・

富国強兵と農業技術の進歩

 そう、戦争です。明治27年(1894年)日清戦争です。明治新政府になり、初めての対外戦争、この年から米価は上下運動ではなく、上昇傾向になり、3円、4円、5円と上がっていきます。軍事物資としての需要が上がったためなのか、軍需景気からのインフレなのかはちょっとわかりませんが。そして、明治37年(1904年)の日露戦争へとつながります。日露戦争時で5円29銭、明治元年から約40年で2倍になりました。

 それでは、この価格は現在価値に直すといくらなのでしょうか?このころから、大卒の初任給のデータを見つけることができました。日露戦争の時の大卒の初任給が35円。これを2021年の大卒初任給212,800円と比較換算すると、米1俵の値段は現在の価値で32,162円!なかなか高価です。

 富国強兵とは、つまり米を作ることでいた。政府は水田の開墾に力を入れました。また、収穫量を上げるための品種改良も進み、こちらは民間の力で進んでいったようです。全国の米生産量は増加し、1反あたりの収穫量も明治初年度の150㎏から明治の終わりには300㎏に増えてます。これは大きい!反収は100,000円から200,000円に倍増しました。ちなみに、このころの米の品種の名前、「愛国」「神力」「旭」「亀の尾」など。時代だねぇ。

 そして、明治最後の年(1911年)、1俵当たりの値段は6円94銭となります。そろそろ7円が見えてきました!! がんばれ、米価!!負けるな、米価!!

お米の値段の変遷②~大正編 へ続く♪

おまけ:明治陸軍のお給料

 日露戦争当時の大卒初任給が35円。それでは、当時の軍隊の給料はいくらだったんだろう?と、思い立ち調べてみました。

 日露戦争当時の陸軍の大佐(結構えらい人)の月給が196円!そして少尉(現場の偉い人)で月給30円!ちょうど大卒平均と同じぐらいですね。現代でも防衛大学校出ると少尉(陸自では3尉)からスタートだったはず。感覚的にだいたいあってそうですね。

 でも、一番下の二等兵は・・・・・1円20銭。大佐の163分の1。こ、こんなに開きがあるなんて・・・・3食宿付きだからやっていけたのかな。

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